naokocoroの身体と心・原理原則のお話しブログ

心と身体の専門家naokocoroの観ているディープな世界観のお話しのブログです(o^^o)

二元論

物事には陰陽があり表裏がある

良いものがあれば悪いもがある

プラスとマイナス

上下

内と外

善悪

男女

必ず正反対の言葉が存在しますよね

 

この表現だけを切り取るならば

そうだ

という感覚でしか無い

 

でも、この表現に「感情」や「記憶」がくっつくと

途端にジャッジが入る

 

良いも悪いもない

のではなくて

「良い」も「悪い」も

存在しているけれど

どっちがどうのという話ではなく

どっちでもなければ

どっちでもあるのです

 

もっというと

二元のみならず

3次元・4次元・・・・

全ての「面」は

同時存在する

○○でもあるし○○でもあり○○でもある

みたいな感じ

 

問題は

その表現にくっついている

「感情」「記憶」が

現実をややこしくさせる

 

くっついている「感情」「記憶」は

人それぞれ違うんですが

100人いたら100通り

でも

なぜだか人は人も自分と同じだと

勘違いをしているところも

ややこし勃発ポイントなんです

 

例えば

何が「善」で何が「悪」か

なんて人によっても違うでしょう?

しかも

「定義」や「法律」「常識」「倫理観」「宗教観」

という「記憶」に基づいてのこと

時代によって変化もすれば

文化によっても変化もするし

ところ変わればなんとやら

位のことなんですよね

判断基準にしていることなんて

 

他人や物事を見ていて

ジャッジ

が発生してませんか?

 

発生してるとしたら

それは

自分の判断基準が何を持って判断しているのかを知るタイミング

以外と自分で判断しているようで

自分以外の他者の判断基準を採用していたことにも

気がつくタイミングです

ちなみに、これ ↑ いわゆる「他人軸」ですからね

 

「自分軸」で

自分で選択して物事を決めている時は

まあ

ややこしいことにはなりませんから(*^-^*)

 

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